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岩宇土山(1347m)〜上福根山(1645m) |
▲2006/4/24 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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昨日は御竈門山を下山して 山都町の「そよかぜ」で汗を流してさっぱりして、二本杉峠経由で、五木方面に向かい、登山口の久連子で車中泊です。 朝5時、谷川の瀬音と小鳥のさえずりで目覚めます。食事や準備をして6時35分登山口を出発します。登山口は久連子荘の50mほど先に案内標識があります。いきなりの急登ですが、ジグザグに左上へ上がれば数分で尾根に乗ります。 尾根上も急登が続きます。30分で石灰石の露岩が目立つ展望の良い場所に着きます。ここで一息入れます。南正面に目をやると、山犬切から蕨野山、積岩山に連なる山並みが巨大な壁のようです。鋭く落ちた谷底に道路が見えています。 この先から山芍薬がぼつぼつ顔を見せてくれます。開花には未だ早く、葱坊主のようなまん丸のつぼみをつけています。20分ほど歩くと石像の安置されている場所に出ます。 この石像ですが、普通のお地蔵さんとはどうも違います。お顔を見ると西郷さんにそっくりなのです。西南戦争で敗れた西郷軍は山中を鹿児島まで退却していますが、途中、この山も通っています。久連子は平家の落人部落ですが、先祖と似た境遇の西郷さんを思う久連子の住人が、寄進されたのではないかと推測するのは、うがちすぎでしょうか。石像には明治30?年、2月16日とあります。奇しくも西南戦争の始まった日が明治10年、2月15日です。 石像を過ぎると、急傾斜の崩壊地を横切ります。普段でも滑りますので雨後など注意が必要です。崩壊地を抜けて左上の鍾乳洞にむかってジグザグに上がります。このあたりにはヒトリシズカがたくさん咲いています。鍾乳洞とはいっても狭い入口がポカンと開いているだけで中の様子はよくわかりません。ここから一登りで展望の良い岩峰に出ます。 岩峰からは東正面にこれから進む岩宇土山、その左手に上福根山がちょこっと顔を見せています。上福根山から稜線を下った左下に茶臼山が見えます。足下には激しく崩壊したオコバ谷も見えています。 岩峰から少し戻って、岩宇土山に向かいます。石灰石の小石がごろごろした白い道を登ります。鹿避けネットとスズタケの間の狭い道をネットにいろんな物を引っ掛けながら小さくなって進みます。スズタケが消えてやせ尾根が現れると岩宇土山山頂ですが、ここは平坦な道ですのでさっと通過します。 下り道になって、オコバ谷分岐を通過して、しばらく登ると林道に出会います。岩宇土山山頂から40分ほどです。この林道は樅木から上がってきていて山犬切を通ってここまで達しているのですが、度重なる災害で使用不能の状況で復旧の見込みも当面無いようです。 これからいよいよ上福根山への最後の上りです。取り付きは正面の岩場で小さな標識があります。登るにつれて展望が開けてきます。去年猛烈な藪漕ぎに悩まされた高塚山も見えてきました。大きなブナの倒木を乗り越えます。形の良い白骨樹もあります。山頂付近にはシャクナゲが群生しています。林道から50分で山頂到着です。 樹間から国見岳、烏帽子岳、扇山、白鳥山が確認できます。樅木の集落も真下に見えます。樅木と山犬切への下山道をそれぞれ少し歩いてみます。樅木からの道はかって西郷軍が上がってきた道ではないでしょうか。いつかこの道を歩く事があるかも知れません。山頂で30分ほどゆっくりして下山にかかります。 14時43分、無事下山しました。今日は最高の天気に恵まれて、誰とも会わず山を独り占めした気分で楽しませてもらいました。 トップの写真の中央の谷がオコバ谷です。右手前の尾根が岩宇土山の尾根です。上福根山は奥の右から2番目のピークです。 登山口(40分)露岩(20分)石像(45分)岩峰(35分)岩宇土山(40分)林道(50分)上福根山(2時間半)登山口 |
△▲このページの地図は国土地理院発行の2万5千分の1地形図を複製加工して使用しています |
△▲赤線はGPSのログですが、誤差はありますので参考データーと考えてください。 △▲一つの升目の横が約250m、縦が約300mになります △▲地図の印刷は、画像の上で右クリックしてメニューから印刷に進んでください。用紙設定でタテ、ヨコを選択してください |
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